病気への向き合い方

病気の不安に悩む患者・家族の皆様へのヒント

投稿日:2018年9月21日 更新日:

(注)この記事は遺伝カウンセリングの研究者でいらっしゃる田村智英子先生が執筆されたものです。すべての難病に共通する内容ですので、ご紹介いたします。

第1回 心理的な健康を考えるための原則

はじめに
今回から4回にわたり、心の健康について考えるためのヒントについて書いてみたいと思います。脊髄小脳変性症や多系統萎縮症の患者、家族の皆様は、診断を告げられてショックを受けたり、病状が進行して絶望的な気持ちになったり、仕事が続けられなくなって落ち込んだり、周囲の人に理解してもらえず頭にきたり、生きていく気力が感じられなくなったりと、様々なつらい気持ちを感じることがあるでしょう。そうした気持ちとどのようにつきあっていけばよいのか考えるために、まず、いくつかの原則を確認しておきたいと思います。

ほとんどの人は、自分自身で大きな困難を受け止め気持ちを整理していく力を持っている
自身や家族の病気の診断を告げられ、多くの人はショックを受けます。根本的な治療法がないことや徐々に症状が進むことを知らされて、平静でいられる人のほうが少ないでしょう。しかし、診断がついた当初、激しく落ち込んだり動揺や不安で混乱したりしていても、何週間かすると日常生活は普通に送れるようになり、さらに何ヶ月、何年かすると、その方なりの方法で状況を受け止めて消化し気持ちを整理していくことができるようになります。もちろん、不安はなくなりません。前向きな気持ちになれたように思えても、再び絶望感が襲ってくることもあります。しかし、そうした気持ちとうまくつきあっていくことができるようになるのです。
ほとんどの方が自力で立ち上がれることは、心理学の教科書にも書かれています。おろおろしている患者さんやご家族に出会ったときには、まず、その方のもつ心理的回復能力を心から疑わずに信じて、落ち着いて見守ることが大事です。周囲が信じて疑わない姿勢でいることで、その方も自分が潜在的に有している力を思い出して発揮できるようになるからです。

気持ちの整理には時間がかかる
一つの大きな困難に対してある程度気持ちが整理できるまでには、2~3年以上かかることが珍しくありません。最初の数週間を過ぎれば、たいてい日常生活はなんとか送ることができるようになりますが、怒りや悲しみや絶望感がわいてきたり、急に何もかも嫌になったり、といったことはすぐにはなくなりません。まして、病気がずっと目の前に存在し続け、さらに徐々に症状が進んでいくとなれば、日々新たに困難な課題に直面し続けているようなものですから、なかなかゴールに至りません。でも、直面している状況を考えれば、このような心理状況になるのは当然のことと理解できます。時々、「いつまでも泣いていてはいけませんよね」「早く前向きにならなければ」とおっしゃる方がいますが、私は、「心理学の教科書にも2~3年以上かかるのが普通と書いてありますから、時間がかかるのは当然で、前向きになるまでに長い時間がかかってもよいのですよ」とお伝えしています。

不安や怒り、悲しみなどは、当然の感情であり、なくす必要はない
難病に直面した患者さんやご家族は、ショック、不安、混乱、心配、驚き、怒り、恐怖、いらだち、絶望などいろいろな気持ちを抱えています。こうした様々な気持ちを持つのは自然なことで、感情を抑えたり隠したりする必要はありません。むしろ、つらい気持ちから逃げないで、自分の気持ちとしっかり向き合うことが大事です。泣いても怒ってもよいのです。自分の気持ちは自然なことだと率直に受け止めることは、その後、より健康的な心理状態に向かっていくために役立ちます。気持ちを文章に書いてみたり、絵や音楽で表現してみたりすることも有用です。
難病などの大きな困難に直面しているのに「私は平気」という方は、心理学的にはかえって心配です。自分の気持ちと向き合わずに気持ちを整理するという近道は存在せず、自分は心痛を抱えているのだと認めなければ、次の段階には進めません。しかも、こうした感情はずっとゼロにはなりませんし、病状や周囲の状況の変化によって不安が大きくなることもあるでしょう。しかし、人は複数の感情を同時に持つことができるので、不安でありながら前向きな気持ちになることもできますし、怒りを抱えながら希望を感じることもできるのです。ですから、自分の中にあるネガティブな感情を無理に否定する必要はありません。
心理カウンセリングでは悩みや不安の軽減が目的と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、実際には、苦しみや心の痛みとしっかり向き合うこと、悩みや不安を消し去るのではなく、そうした悩みや不安を持っている自分を自然に受け止めることができるようになることを目指しています。心理カウンセリングの機会を利用される方もされない方も、悩みや不安や様々な感情はなくす必要はないと知って、そうした人間らしい感情を抱えているありのままの自分を受け止めていく方向を目指していただきたいと思います。

心理支援の専門家を利用する
専門家の助けを借りることは有用です。臨床心理士や心療内科医、精神科医、メディカル・ソーシャル・ワーカー、看護師などに話を聞いてもらうことは大いに役立ちます。心理支援の専門家は、つらい気持ちや悩みを消し去ってくれるわけではありませんが、気持ちの整理の仕方のヒントを示してくれたり、その方自身がもともと持っている力に気づかせてくれたりします。あるいは、これらの専門家は人の話をじっくり聞くトレーニングを受けた人たちですので、こうした人たちに気持ちを聞いてもらうだけですっきりする人もたくさんいます。家族や友人ではない第三者に自分の話を聞いてもらうほうが、気兼ねしなくてよいと感じる方もいます。「自分はまだそこまでは必要ない」「心理支援を利用する人は弱い人だ」と思われる方もいますが、むしろ、心理的な健康度の高い人は、上手にこうした援助を利用して気持ちの整理に役立てています。機会があれば積極的に利用してみましょう。

他の患者・家族の心理を知る
脊髄小脳変性症や多系統萎縮症をもつ方々は世界中に大勢います。これらの患者、家族がどのような気持ちでいるのか知ることは有用です。同じ疾患をもつ仲間とその家族の状況を知ることで、「自分はひとりではない」「同じように思っている人もいるのだ」と感じられます。また、自分とは異なる考え方を知って視野が広がる場合もあります。
さらに、難病など大きな困難に直面したときに人はどのような心理状態をたどるのか知識として知っておくと、自分の状態を客観的に理解できるようになり、落ち着いて受け止められるようになります。この連載では、皆様方にそうした知識をお伝えすることも目指しています。

困難な状況に対する「コーピング」
自分が直面した困難な状況を事実として受け止め自分なりに心理的に状況に適応していくことを、心理学用語で「コーピング」といいます。コーピングには、人によっていろいろなスタイルがあり、たとえば、情報を集めることで気が楽になる人もいれば、たくさん泣くことで気持ちが落ち着く人もいます。がんばるぞと闘う気持ちを大事にする人、必要以上に考えすぎないようにする人、人間の手の及ばない力を信じる人、困難を人生の糧として肯定的に受け止める人、家族や友人や専門家の援助を利用しようとする人など、正解はひとつではありません。同じ人でも状況によってコーピングのスタイルが異なる場合もありますし、親子や夫婦の間で違うこともあります。本やインターネットで調べてばかりいる夫と泣いてばかりいる妻は、お互いに相手は自分のつらさを理解してくれないと思うかもしれませんが、これはコーピングのスタイルの違いであってふたりとも同じように心配な気持ちなのだとわかれば、夫婦喧嘩が減るかもしれません。友の会のような場で他の仲間と交流することがコーピング上役に立つ人もいれば、ひとりで考えるほうが合っていると感じる人もいます。
気持ちの整理をしていく際には、どのコーピングの仕方が今の自分に合っているか、あれこれ試してみるのもよいかもしれません。家族や友人の中で、お互いのコーピングのスタイルについて話し合うことも有用です。コーピングの過程で困難を感じている人は、心理支援の専門家に相談することも役立ちます。

うつ状態に注意
難病に直面した患者さんやご家族の中に、一時的にうつ状態になる方がいらっしゃいます。眠れない、あるいは寝てばかりで起きられない状態や、食欲がない、食事が喉を通らない、逆に食べ過ぎてばかりいるといった状態、気分の上下が激しい、以前に楽しかったことが楽しいと感じられないといったことが何週間も続いていたり、不安のあまり日常生活に支障を来していたりする場合には注意が必要です。うつ状態は、薬を飲んだり心理カウンセリングを受けたりすることで多くの場合治療が可能ですので、ご自分やご家族がうつ状態かもしれないと感じたら、心療内科や精神科、臨床心理士などに気軽に相談してみましょう。

おわりに
以上、心の健康を考えるための原則をいくつかお示ししてきました。次回からは、具体的に、診断がついたときのショックや病気の進行に伴う絶望感とどう向き合っていけばよいのか、考えてみたいと思います。

第2回 診断を告げられたとき-心と身体の反応を知る

前回の復習
前回は、人々は自分自身で大きな困難を受け止め気持ちを整理していく力を持っていること、気持ちの整理には時間がかかること、不安や怒り、悲しみなどは当然の感情であり、なくす必要はないことなど、いくつかの原則についてお話ししました。それでは、ご自身やご家族が脊髄小脳変性症や多系統萎縮症と診断されたら、そのときの気持ちとどのように向き合っていけばよいのでしょうか。その答えを考える手始めとして、まず、診断に直面したときに心や身体がどう反応するか、学んでみましょう。これらを知っておくことで、自分の状態を落ち着いて受け止められるようになると思います。

診断を告げられたときの心の動き
ご自身やご家族の診断を告げられると、多くの人々は、大きなショックを感じます。そして、怒り、悲しみ、苛立ち、不安、絶望など様々な感情がわいてきます。自責の念にかられたり、周囲の人々に対して申し訳ないという気持ちになったりする人もいます。孤独感や、疲労感、無力感を感じることもあるでしょう。病気がなかった状態に戻りたいと思う気持ちも出てきます。物事が信じられなくなったり、頭がいっぱいで他のことが考えられなくなったり、ひどく混乱したり、何かにつけて感情が爆発したり、病気以外のことに対しても気弱になったり苛立ちを感じやすくなったりすることもあります。あるいは、感情が麻痺したようになって何も感じられなくなることもあるかもしれません。一方で、診断がついたことによって、かえってすっきりして、解放感、安堵感を感じる方もいらっしゃるでしょう。
これらの心の動きはすべて正常な反応なのですが、ときどき、あまりの感情の強さに「私はおかしくなってしまうのではないか」と心配したり、単純な怒りや悲しみとは違う気持ちを感じる自分に当惑して、「こんな気持ちになるのは異常」と思われたりする方がいらっしゃいます。しかし、これらの気持ちはいずれもよく見られるものですので、ご自身や周囲の方々が、「こういう気持ちは普通のこと」と認めることが大切です。

診断を告げられたときの身体の反応
大きな病気の診断を告げられると、身体も反応します。たとえば、胸や喉が締めつけられる感じがしたり、胃が空っぽになったように感じたりすることがあります。めまい、頭痛、吐き気、口渇感、下痢、便秘なども見られますし、音に敏感になる人もいます。あるいは、自分が自分でないような感じがしたり、周囲の現実が現実でないように感じられたりすることもあります。息切れがしたり、筋力が低下したりすることもありますし、身体のエネルギーが足りない感じで疲れやすくなることもあります。不眠を訴える方や、いろいろな夢にうなされる人もいます。食欲がなくなったり、逆に過食になったりすることもあります。
こうした身体の状態は、何ヶ月にもわたって見られることもありますし、まるで本当に何か別の病気にかかったのではないかと心配になるほどで、病院に駆け込む方もいらっしゃいます。身体の具合が悪いときは、きちんと診察を受けて対処することが大事ですが、難病の診断を告げられただけで、他に何も病気がなくても、こうした身体の反応が起こることがあるのだと知っておくとよいと思います。

診断を告げられたときの生活や行動面での反応
診断告知後の生活や行動面でよく見られるのは、ぼんやりした行動です。忘れ物や仕事のミスが増えるかもしれません。言われたことや自分がしたことを忘れてしまうこともあります。ぼうっとしているかと思えば、落ち着きのない行動を繰り返すこともあります。また、病気を思い出させるものから逃げようとして、病院に行かなくなったり、旅に出たり、急に何か違うことをし始めたりする人もいます。一方で、必要以上に病院に通い詰める人もいますし、病気に関連した情報を熱心に集める人もいます。何を話していてもすぐに病気の話になってしまったり、近しい人にたくさん話をしたくなったりする人もいる一方で、人と話ができなくなる方や人と会うのを避けて引きこもってしまう方もいらっしゃいます。涙が止まらないことは珍しくありませんし、無意識に何度もため息が出ることもありますし、急に大声で叫ぶこともあります。こうした状態もすべて、診断がついて少なくとも数ヶ月の間はよくあることだと知っておきましょう。

診断を告げられたときの気持ちと向き合う
ご自身やご家族の難病の診断を告げられた後、自分の心や身体の反応を率直に認めることは、今後、気持ちを整理して前に進んでいくための第一歩です。最初のうちは、何も感じられない、考えられないという状態がしばらく続くこともまた自然なことですが、少し落ち着いたら、つらくても心の痛みと向き合うことが大事であると心理学の専門家の多くが述べています。自分の心や身体の状態を簡単に書きとめておくことも有用です。後で振り返って読んでみると、自分が少しずつ前に進んでいることを確認できます。
気持ちから逃げないで向き合うときには、無理に前向きになる必要はありません。泣いても怒ってもよいのです。自分の気持ちは自然なことだとそのまま受け止めることが大事です。家族や友人と話をすることも有用です。ただし、周囲の人々は必ずしも心理学の専門家ではありませんので、「前向きにがんばろう」と診断がついた直後から強く励ましてくれる場合があります。それはそれでありがたい応援になる場合もありますが、すぐには前向きになれない人も多いと思います。気持ちの整理には時間がかかりますので、まわりの人の励ましを聞きつつも、自分自身は慌てずにゆっくりと気持ちを感じていくことが大事です。

診断がついたことの意義
ご自身やご家族が難病と告げられたとき、つらい気持ちもある一方で、診断がついてよかったという声も耳にします。たとえば、将来についてある程度予測ができるようになり、思ったより長生きできるとわかる場合もありますし、今後の病気の経過が深刻だとわかったとしても、心の準備ができてよかった、あるいは、あきらめがついてよかったと言われる方もいらっしゃいます。何も知らずにいるのと比べれば、知っていることで心構えが違うので、長い目で見れば診断を知ってよかったとおっしゃる方もいます。これまでご自身やご家族の身体に何が起こっているのかわからなかったのが、診断がついて、そういうことだったのかと納得できたり、はっきりしてよかったと感じたりすることもあります。今後気をつけなくてはならないことと気にしなくてもよいことが区別できてよかったと言われる方もいます。また、診断名がつくことで、それぞれの病気に詳しい専門医や、難病制度などの社会福祉サービスを利用できるようになったり、友の会のような患者・家族の会にたどりつくことができたりします。同じ疾患を抱える患者・家族の仲間に出会うのは、疾患名がわかっている場合ならではのことです。
このように、診断を知ることは、ショックなことであるとともにメリットももたらします。つらい気持ちを否定する必要はまったくありませんが、同時に、診断を知ることができたことを今後に活かそうという気持ちを持つことも大切です。

おわりに
今回は、診断を告げられたときの心や身体の反応について学びました。次回は、その後の気持ちの整理の進み方について考えてみたいと思います。

第3回 気持ちの整理の過程でこなしていく4つの課題

前回の復習
前回は、ご自身やご家族が脊髄小脳変性症や多系統萎縮症と診断されたときの心や身体の反応についてお話ししました。今回は、その後、気持ちを整理していく過程について考えてみたいと思います。
気持ちの整理はどのように進むか-ウォーデンの4つの課題
私たちには、自分自身や家族が重大な病気と診断された後、その状況を自分なりに受け止め、気持ちを整理していく能力が備わっています。そうした気持ちの変化について書かれたキューブラー=ロスの著作はよく知られています。米国の心理学者J. W. ウォーデンは、キューブラー=ロスの考え方を参考にしながら研究を進め、人間が何か大きな困難に直面した後の気持ちの整理の作業を、①現実を認める、②心の痛みをしっかり感じていく、③以前と変わった状況や環境に適応していく、④直面した困難に対する気持ちの置き場所を確保して新たな人生を歩んでいく、という「4つの課題」としてまとめました。これらの課題は順番にこなす必要はなく、同時並行で進むこともありますし、行きつ戻りつしながらこなしてもかまいません。それでは、脊髄小脳変性症や多系統萎縮症の患者様やご家族の状況を、この四つの課題にあてはめて詳しくみてみましょう。

第1の課題-疾患の事実を認める
診断がついた当初、「そんなはずはない」「何かの間違いだ」と感じたり、診断を疑って別の医者に問い合わせてみたりインターネットで調べてみたりすることは、多くの人が通る道です。あるいは、病気の診断を直視することができず、しばらく病院に行かないでいたり考えないようにしたりしている人もいます。しかし、時間が経つと、人々は少しずつ、やはりこれは逃れようのない事実なのだと認めるようになります。これが出来たら、第1の課題は完了です。第1の課題を終えた段階では、疾患状況が事実であると認められればよく、それを受け入れて前向きになっている必要はありません。まずは、事実から逃げ回らずに、事実なのだと認めることが大きな一歩なのです。

第2の課題-心の痛みをしっかり感じていく
診断がついた後の様々な心の反応について、前回ご紹介しました。ウォーデンの提唱する第2の課題は、こうした様々な感情、心痛から目をそらさずしっかり感じていく作業です。実はこれは必ずしも簡単なことではありません。悲しみ、苛立ち、怒り、恐怖、不安、混乱などの自分の中の感情を素直に認められず、「私は大丈夫」と思いたい気持ちは誰にでもあります。心痛が大きくなればなるほどそれを真正面から見つめるのは勇気もエネルギーもいることですので、心痛を感じていないように振舞ったり、気晴らしに旅行に出たり仕事に没頭したりして感情と向き合わないようにする人もいます。しかしウォーデンは、心痛を感じないままで気持ちを整理する方法はない、どんなにつらくても心痛をしっかり感じていく課題をこなさない限りは先に進めない、と述べています。自分の心の痛みをありのままに認めていくことは容易ではありませんが、とても大事なプロセスなのです。それだけ大変な状況に直面しているのですから、怒ったり涙を流したりすることは当然ですし、必要なことでもあるのです。気持ちを吐き出しにくい人は、絵や文章を書いてみるのもよいですし、話を聴いてくれる人に相手をしてもらうと気持ちと向き合えることもあります。あるいは、取り乱している自分を他人に見せたくない人は、一人のときにじっくりと自分の気持ちを認めるのでもかまいません。いずれにしても、心の痛みから目をそらさずしっかりと感じていくことが、第2の課題です。

第3の課題-変化した状況や環境、生活に適応していく
3つめの課題は、病気になったことで変化した状況に適応していく作業です。これには、身体的に以前出来たことが出来なくなった状態に合わせた生活の工夫や、仕事を変えたり辞めたりした環境に慣れていくことなどがあげられます。さらには、こうした外面的な適応だけではなく、心の内面での適応も含まれます。たとえば、病気になったことで家庭や職場における自分の立場が変化した状況に気持ちの上で適応していかなくてはならないことがあります。これまでは頼りにされていた自分であったのが、自分にも人に頼らねばならない部分があるという状態に対し、心理的な適応が求められることもあるでしょう。さらには、信じていた神様を信じられなくなったり、まさかの難病が自分に降りかかって世の中に希望を持てなくなったりして、人生観や宗教観の変更を余儀なくされる場合もあります。このように第3の課題は、病気という状況に外面的にも内面的にも様々な点で適応していく作業であり、簡単な事も難しい事もありますが、ある程度時間がかかるのが一般的です。

第4の課題-病気に対する気持ちを上手に置いておく場所を確保して新たな人生を歩んでいく
4つめの課題は、心理学では「情緒的再配置」と呼ばれます。病気に直面してしばらくは病気が自分の関心事の中心を占めていますが、やがて、自分や家族が病気であることを忘れたわけではなくても、病気に対する気持ちを上手に配置しておく心の場所を確保して、それを自分の一部に取り込みながら、必ずしも病気だけにとらわれずに、新たな自分として再出発し、その人らしい様々な人生を歩んでいく、というのがこの課題です。病気がなくならない限り病気に対する不安や様々な感情はあいかわらず存在しますが、そうした気持ちと上手につきあっていくことが出来るようになることが、第4の課題の目指す方向性です。病気に対して沸きあがってくる様々な感情を感じなくするのではなく、感じつつ上手に置いておく場所を確保しておくことで、病気のことはそれはそれで覚えておきながらも、それ以外の様々な事柄にも関心を寄せ、趣味を楽しみ、人と交わり、その人らしい生活を営んでいく、そうした状態に達したとき、第4の課題を終えられたと言えます。

前向きにならなくてもよい
自身や家族の病気の経験を通じて人間的に成長し前向きになっていく人は少なくありませんが、それには時間がかかります。本来なら第2の課題として心痛をしっかり感じていくべきなのに、負の感情を直視できず、あたかも前向きになったように振舞っている人は、実は第2の課題をこなせずにいると認識したほうがよいこともあります。ウォーデンは、私たちが4つの課題をこなしていくためには2~3年はかかると言っていますので、すぐに前向きになる必要はありません。また、4つの課題を終えた後で自分の不安や心の弱さを素直に認められるようになった人のほうが、無理に元気に前向きに振舞っている人よりも心理的健康度が高いこともあります。ですので、ゴールは前向きになることではなく、その人らしいやり方で4つの課題をこなしていくことだと考えていただければ幸いです。

状況が変化することで気持ちも変化する
脊髄小脳変性症や多系統萎縮症の症状は少しずつ進行します。最初の診断がついた後に4つの課題をこなしている途中で、新たに深刻な症状が出てきたり他の患者の症状悪化の話を聞いてショックを受けたりして、済んだと思った課題を再びこなさねばならなくなるなど、複数の事項に対して課題をこなす作業が何重にも重なって進むことは珍しくありません。
患者・家族をとりまく家族や周囲、社会の状況も変化します。患者自身、年をとって仕事や環境が変わったり、子どもが成長して巣立っていったり、あるいは親の面倒を見てくれるようになったりすることもあるでしょう。病気の進行と、患者自身や家族の進学、就職、結婚、出産、子育てなど人生の様々なイベントが絡み合っていく中、人々の気持ちや心配事も様々に変化しますので、いったん整理がついたと思った気持ちが状況によって揺らぐこともあると知っておくことが大切です。

おわりに
今回は、病気に直面した後の気持ちの整理の作業としてこなしてく4つの課題についてお話ししました。次回は、これまでのことを踏まえ、心の健康度を高めるためのヒントを考えてみたいと思います。

第4回 心の健康を考えるための知識を学ぶ

心の健康に関する知識を学ぶことの意義
これまで3回にわたって、心の健康を考えるためのヒントについて述べてきました。このように、心理的な事項を知識として学ぶことは、大変有意義です。悩みや心痛を減らすのは簡単なことではありませんが、そうした状況における心理を学ぶことによって、自分の心の反応が正常だとわかったり、気持ちの整理の仕方を知ることができたりして、自分の気持ちを客観的に振り返る手助けになります。

情報を入手することは心の健康に役立つ
先日、友の会の交流会に出席させていただく機会があり、参加された方々の多くが、様々な情報を求めていらっしゃる様子から、沢山のことを学ばせていただきました。
病気に関する情報を入手することは、心の健康を考える上でも重要です。「これからどうなっていくのかわからなくて不安」という方が、個人差はあるとしても一般的な症状の経過を知ると、それまでのわけのわからない状態から「これからどうなっていくのかわかった上で心配」という状態に移行することができ、心配はなくならないとしても少し落ち着きます。将来の症状を知ることで以前にはなかった不安が出てくることもありますが、いずれそうした症状に直面するのであれば、今後の可能性を知っておくことで、最初はショックを受けたとしても、将来に向けて心の準備ができ人生設計も考えることができます。このように、主治医との話し合いや友の会のような当事者団体の活動を通じて、医学的情報や生活上の知恵、介護や福祉の情報、あるいは診断や症状を他の人たちがどのように受け止めているかといったことの情報を得ることは、気持ちの整理のために大変有用です。そして、そうした機会に、心の健康に関する知識も入手しておくと役立ちます。

症状の進行や悪化を恐れるのは当然
脊髄小脳変性症や多系統萎縮症においては、一般的に少しずつ症状が進行し身体の状態が悪くなっていきます。疾患の型によって症状や進行の度合いに違いがありますが、場合によっては「死」という概念が目の前に迫ってくることもあります。人間は、自分が経験したことがないことやコントロールできないことに対して大きな恐怖や不安を感じるものですので、患者さんやご家族にとって、こうした現実に直面するのは非常につらいことです。前向きになれたと思っていた人が、症状の進行とともに再び落ち込んだり将来を案じて恐怖を感じたりすることは珍しいことではありません。このような気持ちとどのように向き合えばよいでしょうか。
私はここであえて、将来症状が悪化したときのことを考えてみることを提案したいと思います。四六時中考えている必要はありませんし、心理的に落ち着かない時期に無理をする必要はありませんが、精神的に余裕があるときに考えてみましょう。すると、将来の症状悪化や自分の人生の終わりについて考えるためには、実は、生に関する深い洞察が求められること、自分という人間が生きていることの意味や意義を問う深遠な問いにたどりつくことに、多くの人が気づきます。先々のことについて考えをめぐらすことは、空恐ろしいことであると同時に、ひとりひとりの人生観や生き様と関わってくる哲学的な深い思慮を求められることでもあるのです。将来に対する不安や恐怖はなくすことはできませんし、なくす必要もありません。私たちにできることは、そこから何を考えて生きていくのか、という問いに向き合うことだけなのです。

人が生きている意味を探ろうとしたフランクルの言葉に学ぶ
私が様々な疾患の患者さんやご家族にお会いする中で、人間の無力さを感じたときに手にとる本のひとつに、ヴィクトール・フランクルの本があります。ナチスの強制収容所での体験を綴った『夜と霧』で有名なフランクルは、精神科医として収容所に入る以前から卓越した心理カウンセリング理論を練っていました。それが、収容所での経験を経て、さらに深い叡智と人間理解、共感、心の豊かさの高みに達したのではないかとキュブラー=ロスは語っています。収容所を出た後、ウィーン大学の神経学・精神医学の教授をしながら、フランクルは、人間が生きていることの本質的な意味について考察した沢山の著書や講演録を残しました。
フランクルは言います。「苦しみ悩むのが人間なのではない。苦しみ悩むからこそ人間なのだ」と。収容所の生活では、食べて寝てなんとか生き延びるという生き物として最低限のことしか頭に浮かばなくなるほどの極限状況におかれていましたが、収容所を出て精神科診療を再開し人々の悩みの相談に応じる中で、人間らしく悩むことができるのは素晴らしいことだ、悩むという営みは人が人間らしく生きていくために大切なことであり、人間は苦悩を通して成長していく存在なのだと考えたのです。フランクルは、「悩む人ほど健康で人間的である。悩む能力が麻痺していないからだ」「倒れそうな建築は、屋根に重荷を乗せるとしっかりする。人間も、負担を背負った方が強い」と言い、また、「人間は悩みに苦しむのではない。悩んでいる自分自身に苦しむのだ」とも言っています。
さらに彼は、「人生に何かを期待するのは間違っている。人生が、あなたに期待しているのだ」とも言っています。人生は決して公平ではありません。病気や人生の苦労とは無縁に暮らしている人々も沢山います。でも、だからといって不公平な人生に文句を言ったところで何も生み出されない。人生というのは私たちがそこに何かを期待するようなものではなくて、人生のほうが私たちに対して何かを生み出すことを期待しているのだ、とフランクルは考えました。人生に期待しなければもはや絶望することもない。精神的な支えや生きる希望と拠り所は、外から与えられるような不確かなものではなく、自分自身の内面に確固たる基盤として築くものだ。人生に期待することをやめた人間は、自分の人生がどんな結果に終わろうとそれを受け入れる覚悟ができている。なぜなら、結果は問題とならず、それよりも大切なのは、人生から自分に与えられた時間と力を使って自分の責任を果たすべく全力を尽くすことである。そうすれば、途中で力尽きたとしても努力した自分を責めることはないし、誇りにすら思うことができるのではないか、と彼は言っています。
私自身はフランクルのような高みに達することは到底できませんが、フランクルの言葉には、「絶望とは、もうすぐ新しい自分と新しい希望が生まれてくるという前兆である」「信じてもだめかもしれないが、信じなければ実現するものもしなくなる」「深刻なときほど笑いが必要だ。絶望の淵にこそユーモアが大事だ。ユーモアの題材を探し出せ。そこに現状打開の突破口がある」など、はっとさせられるものが多々あります。本章の言葉は、『フランクルに学ぶ-生きる意味を発見する30章』(斉藤啓一著、日本教文社)から引用しましたが、このほかに、『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)などもお勧めです。

おわりに
ご自身やご家族が脊髄小脳変性症や多系統萎縮症と診断されると、診断や症状の進行に動揺したり生活の変化や介護の現実に苦労したりと、沢山の困難に直面します。そのとき、つらい気持ちとどのように向き合えばよいのか、正解はありませんが、これまでご紹介したことの中に、少しでもヒントになることがあれば幸いです。4回の連載におつきあいいただいて、本当にありがとうございました。

この文章は、全国脊髄小脳変性症・多系統萎縮症友の会ニュース 184~187号(2010年)に掲載されました。
リンク、転載など自由ですが、その際には、『全国脊髄小脳変性症・多系統萎縮症友の会ニュース』からの引用であることを記していただければ幸いです。

(田村智英子)

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