患者様の声

聴覚障がい者の苦悩

投稿日:2018年10月10日 更新日:

ハンドルネーム モコさん

聴覚障がいを周囲に理解してもらうことは決して容易なことではありません。
私は、19歳まで不自由なく生活していました。
左耳は、ほとんど聞こえていませんでしたが、右耳は正常でした。
しかし、大学入学から半年経った頃から右耳の聴力が落ち始め、大学を卒業する頃には
重度難聴者となってしまいました。

これに関して、戸惑いを感じるのは私だけではありません。
友人や大学の先生方からは接し方がわからないと私を避ける人もいました。
家族とも衝突してばかり。
特に、母とは感情のぶつけ合いがひどく、大学を卒業した後も2年ぐらいは親子関係が
崩壊しかけていたと言ってもおかしくありませんでした。

「聞こえない」という状況は、双方を追い詰めます。
「聞こえにくい」とイライラする私に対し、相手は「伝わらない」もどかしさを感じます。
筆談をお願いしますが、家族ですら応じてくれない日が続き、怒り、無力さが抑えられず
この人生を自らの手で絶とうとしたこともありました。
結局、恐怖に負けたのと、笑われると思いますが、愛犬を残して死ねるわけがないと思い直し
生きることを選択しました。(笑)

その後、情報保障について学び、大学と自宅で聞こえの配慮に対する理解を求めるために
奮闘しました。
家族に筆談を頼んでも、「書き方がわからない。」「忙しいから出来ない。」と言われました。
大学では、試行錯誤しながら接してくれる友人もいましたが、一部から反感を買い、
関係が悪化し精神的に耐えられないと思うこともありました。
筆談に応じてくれても、投げやりに書く人もいる。
書いた後にペンを放り投げる人もいる。
しかし、ここで取り乱しては振り出しに戻ると思い、感情を抑えて頭を下げ続けました。

現在、27歳。「聴覚障がい者」も8年目となりました。
あれから、何か変わったか?と聞かれると言葉でどう表現していいのかわかりません。
ただ、あの頃は、周りだけでなく私自身も求めるばかりで心にゆとりがなかったと思っています。
人に頼りっぱなしで、私の方が相手に対する「思いやり」が欠けていたかもしれません。
聴覚障がい者として少しは要領よくやれるようになってきたと思う部分もあれば、
困難にぶち当たって頭を痛めることも幾度となくあります。

そして、今、私を悩ませているのが「医療現場での対応」です。
耳が聞こえない、筆談をお願いしますと伝えても、耳元で大きい声で叫んで伝えようとする
医療従事者がいます。
聴神経腫瘍である私たちは、「感音性難聴」であり、耳元で大きい声を出せば聞こえるというものでは
ありません。
また、聞こえないと知っていても、一切筆談に応じようとしない人。
お構いなしに話し続けて、見て見ぬふりをする人。
反応は様々です。
もちろん、対応して下さる方もたくさんいます。

まだ聴覚障がいと向き合うことに葛藤していた時に言われた言葉があります。
「自分から聴覚障がい者であること、何をして欲しいのか、きちんと言わなければわからない。」と。

見た目だけではわかりにくい聴覚障がい。
しかし、伝えても理解されない聴覚障がい。

医療従事者がなぜ臨機応変に対応できないのか。
と憤りを感じれば、全く成長していない自分に気づき落胆する時もあります。
病院の外の方が聴覚障がい者に対する理解が深まっていると感じることもしばしば。

結局、精神的にゆとりがなければ質の高いバリアフリーを実現させるのは難しいのだろうという
答えしか残りません。

果たして、この問題をどう解決するか…。

聴覚障がい者としての苦悩は続きそうです。

-患者様の声


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